特集 2011年11月14日

鍋つゆでカレーを作る

パックの鍋つゆで作ったカレーやスープが手軽でおいしいと、そういう記事です
パックの鍋つゆで作ったカレーやスープが手軽でおいしいと、そういう記事です
今から4,5年前ごろからか「カレー鍋」というメニューをよく耳にするようになった。

聞いてすぐに私は「それはただのカレーなのでは」と思ったのだが、「いや、鍋っす。れっきとした、鍋っすよ」という具合でいまやスーパーではパックの鍋つゆコーナーでも普通の顔して幅をきかせている。

で、このレトルトの鍋つゆ。カレーのほかにも「チーズ鍋」やら「トマト鍋」やら、いやそれは鍋というよりもシチューなんじゃないでしょうかという面々であふれかえっているのだ。

やつらは鍋の皮をかぶった普通のカレーやシチューなんじゃないか。いまこそ化けの皮をはがしてやろうじゃないか。
東京生まれ、神奈川、埼玉育ち、東京在住。Web制作をしたり小さなバーで主に生ビールを出したりしていたが、流れ流れてデイリーポータルZの編集部員に。趣味はEDMとFX。(動画インタビュー)

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鍋つゆコーナーの遠慮ない洋風化

まずはどんな鍋つゆがあるかしらねとスーパーへ。鍋つゆの洋風化は予想以上だった。

水で割らずにそのまま鍋に移して使えるストレートタイプの鍋つゆというもの自体が登場してまだ数年かと思うのだが、そのなかでも洋風の商品が半分弱を占めている。
迫力のなべつゆコーナー
迫力のなべつゆコーナー
そしてその半分が洋風つゆ!
そしてその半分が洋風つゆ!
見てみると、存在を知っていた「カレー鍋」「トマト鍋」「チーズ鍋」に加えて「カレーチーズ鍋」「カレートマト鍋」「じゃがバター鍋」さらには「ポトフ鍋」というものまである。

思った以上の事態だ。「鍋」という日本の食文化に対してまるで遠慮なく洋風の風が吹き荒れている。
鍋としておなじみの和風だし(あとキムチ鍋)はむしろ棚の下にひっそり展開
鍋としておなじみの和風だし(あとキムチ鍋)はむしろ棚の下にひっそり展開
そりゃあ、そもそも「鍋」というものは鍋を囲んで食べるから「鍋」なのであって、和風でなければいけない決まりはないとは思う。

でも、それにしては既存の鍋のイメージに対して遠慮が無さ過ぎやしないかと思うのだ。

「鍋奉行」とは鍋を仕切る人のことだが、鍋奉行さんという人物が存在したらこの洋風化で慣れない仕事に今ごろ腰をやってるかもしれないぞ。
メーカーがかぶらないように4種買ってきた。「ごま豆乳鍋」はまあまあ和風だが、以前食べたらすごくホワイトシチューっぽかったのでエントリー(この4種のほか、最後に寄せ鍋つゆも追加しました)
メーカーがかぶらないように4種買ってきた。「ごま豆乳鍋」はまあまあ和風だが、以前食べたらすごくホワイトシチューっぽかったのでエントリー(この4種のほか、最後に寄せ鍋つゆも追加しました)

洋風だけど「鍋」のなぞ

これらの鍋つゆ、洋風なのだから鍋を名乗らなくてもいいんじゃないかとも思うのだが、「鍋」として売っているのには理由があるらしい。

トマト鍋が流行する以前、同様の商品をパッケージイメージや味付けなど洋風全開で売り出したメーカーがあったが、あまり売れなかったそうなのだ。

その後、子どもの口に合うように再度開発、「鍋料理」であることをアピールしてブレイクに結びついたという。
そんなトマト鍋つゆと、豆乳鍋つゆからシチュー化していきましょう
そんなトマト鍋つゆと、豆乳鍋つゆからシチュー化していきましょう

あえて概念を打ち破らない

確かに、鍋料理であれば洋風であれ食卓に鍋ごと出してもズボラにはならず、手軽だ。

それで鍋の概念をあえて打ち破らず、無理やり鍋の概念に溶け込もうとしているということだろうか。

そしてその無理やりさが、ここへ来てじわりじわりと破綻を始めているような気がするのだ。
だって「完熟トマト鍋」パッケージ、ピザ鍋で「フォンデュ風!」って、鍋の胸を借りすぎだろう
だって「完熟トマト鍋」パッケージ、ピザ鍋で「フォンデュ風!」って、鍋の胸を借りすぎだろう

鍋つゆでシチューを作る

なにしろ、鍋つゆの顔をしていても所詮は洋風である。どう考えても鍋というよりシチューだ。

シチューの具を入れて、シチューとして作ってみよう。
材料は、シチューの定番、玉ねぎ、にんじん、じゃがいも、ブロッコリー、鶏肉
材料は、シチューの定番、玉ねぎ、にんじん、じゃがいも、ブロッコリー、鶏肉
トマト鍋はつゆに同量の水を足して割り、豆乳鍋つゆはストレートのまま使う商品だった。

どちらも、パッケージには沸かしたところに具を入れるように書いてある。
にんじんもたまねぎも、炒めさせないのが鍋料理
にんじんもたまねぎも、炒めさせないのが鍋料理
シチューとして作るなら具は先に油で炒めるところだが、今回はパッケージにしたがって沸かしたところに直接入れることにした。

これでシチューができちゃったら相当だぞ。もう鍋つゆって呼ばないからな。
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シチューと鍋の間をいったりきたり

玉ねぎ、にんじん、じゃがいもにブロッコリー。野菜を刻んで用意していると気分的にもまったく鍋料理の気はしない。

が、どぼどぼ鍋に鍋つゆをそそぐ段になるってシチューとしての自信はかなり失われてきた。こんなシチューの作り方見たこと無い。

しかも下処理しただの生の肉を沸騰した出汁に入れるのだ。やっぱり、これは鍋なのか。
と思ったが! これはシチューだ
と思ったが! これはシチューだ
何が鍋だ。ぜんぜんシチューじゃないか
何が鍋だ。ぜんぜんシチューじゃないか

やっぱりシチューだ

鍋なのかシチューなのか。敵か見方か見方か敵か。はっけよいのこったのこった状態で手に汗を握る勝負のような様相を見せた台所だったが、鍋をのぞくとそこにはやはりシチューの姿があった。

シチュー! 私のコキョウの料理を作ってクレテいるのデスねー!

私の中にいる、日本に来たばかりで日本食にまだ慣れないヨーロッパからの留学生が喜びいさんで歌いだす光景だ(誰)。

そうこうしている間に(心の中の留学生に帰国を促している間に)、トマト鍋と豆乳鍋のシチューが煮えましたよ。
トマト鍋シチュー、できました
トマト鍋シチュー、できました

完全にシチュー

見た目がシチューで、味も完全にトマトベースのシチューだった。つまりこれはシチューだ。

煮る前につゆを少し味見したところかなり甘めの味だったのだが、煮たら酸味が立った。スパイシーでケチャップっぽい懐かしい味。私が丸腰で作るやつよりも味が凝っていてよっぽどおいしい。

トマト鍋つゆでシチュー、できました。
鍋ではなくシチューなので、添えるのはご飯じゃなくてライスです(単に茶碗じゃなくて皿に盛っただけ)
鍋ではなくシチューなので、添えるのはご飯じゃなくてライスです(単に茶碗じゃなくて皿に盛っただけ)

豆乳鍋は作り方までシチュー

続く豆乳鍋、具が煮えた直後に味見をすると少し濃かった。白菜など水気の出る野菜を一緒に煮る前提で作られたつゆだからだろう。

鍋つゆに対してシチュー化を強引に迫っている立場上、手を入れるのはフェアじゃないような気もしたが食べられないのではしょうがない。

結局あとから豆乳を足すことにした。
あれ。この景色は…
あれ。この景色は…
これだ!(クリームシチューのルーのパッケージ)
これだ!(クリームシチューのルーのパッケージ)
最後に乳を足す。これ、市販のクリームシチューのルーで作るときと同じじゃないか。

なんだいなんだい、豆乳鍋つゆ。鍋だなんだといいながら、骨の髄でシチューなんじゃないか。
こちらもご飯ではなくライスセットで問題ない
こちらもご飯ではなくライスセットで問題ない
ごま風味の豆乳鍋のつゆだったのだが、ごまがかもし出す和の風味はそれほど感じられなかった。むしろ洋風のコクが出たくらいだ。

ただ、クリームシチューと比べてしまうと油も粉も使っていないのでとろみがない。しゃばしゃばしている。
こういう、もったりした感じがない
こういう、もったりした感じがない
しゃばしゃばしているからシチューではなく鍋なのか。いや、これは鍋かシチューかで悩むというより、シチューかスープかで悩むポイントだ。

どちらにしろ、鍋ではないぞ君は。
続いては「チーズ鍋」とおなじみ「カレー鍋」がターゲット
続いては「チーズ鍋」とおなじみ「カレー鍋」がターゲット
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洋だけど味噌、チーズ鍋つゆ

「チーズ鍋つゆ」である。記事も3ページ目に入り何を今更ではあるが、あらためてこの驚きをかみしめ楽しみたい。

こないだまでフォンデュだとかいってたチーズが、急に「鍋です」と襟を正して頭を下げてきたような商品だ。
洋風なマークはあるものの
洋風なマークはあるものの
和風の書体で味噌をアピールするなど和のご機嫌を伺っている
和風の書体で味噌をアピールするなど和のご機嫌を伺っている
鍋の胸を借りているだけあって、洋風でありながらも和の太鼓を持っているようなパッケージ。しかし油断をしてはいけない。

商品名は正確には「チーズ鍋スープ」。鍋つゆではなく、スープなのだ。

さらに、裏に書かれた「作り方」欄の具だ。他の洋風鍋つゆが、意識的に避けているとも思われる具、ジャガイモが堂々と入っている。
オフィシャルの具のラインナップからしてほとんどシチュー
オフィシャルの具のラインナップからしてほとんどシチュー
パッケージも寄るとこれシチューじゃないの
パッケージも寄るとこれシチューじゃないの
襟を正して頭を下げて「鍋です」といいながらのこのやりたい放題。

困り者に見えて、こういうタイプが出世するんだろうとななどと考えながら、心静かに調理を開始した。

さきほどと同じようにシチューの具を刻み、鍋つゆを沸かしてから具を入れる。

味の濃さ対策として、ほうれん草を多めに加えた。
うん、シチューだ(冷凍のほうれん草を使ったらちょっともろもろしてしまいました)
うん、シチューだ(冷凍のほうれん草を使ったらちょっともろもろしてしまいました)

味噌がすごいチーズ感なんだ

これまた、全く問題のないシチューさ加減だ。

うわ、と思ったのは味噌の存在。ちょっとブルーチーズのようなチーズのクセのあるコクを再現しているのだ。

和要員として投入されているとばかり思っていた味噌がまさか洋の要素を後押しするとは。貴様……スパイだったか。
当然、ご飯ではなくライスです
当然、ご飯ではなくライスです

カレー鍋つゆでカレー作り

3種類の鍋つゆでの試作が終わり、ここまで全く問題なく全てでシチューが作れた。

企画として大丈夫だろうか、シチューの素でシチューを作っているだけになってないだろうか。

あれか、これが有名な「彼とうまくいきすぎて、アタシなんだか怖い!」という状態か。

いよいよ続いて使うのはカレー鍋つゆ。インド人の彼とも私うまくいっちゃうのかしらね。
こちらもパッケージには和に配慮したポイントが
こちらもパッケージには和に配慮したポイントが
やはり調理法は沸騰させたつゆに具を入れると表記されているが、今回は最初に具を炒めるカレーの作り方でやってみよう。

つゆが2倍濃縮だったこともあり、つゆからではなく、水から煮ることができる。

カレー鍋つゆをカレーのルーとして使てみたい。
ということで、まずは具をいためます
ということで、まずは具をいためます
煮えたところにつゆを入れると、なんだ、つゆじゃないよ、ルーだよこれ
煮えたところにつゆを入れると、なんだ、つゆじゃないよ、ルーだよこれ
調理をしていたら、家族に

「あ、今日カレー?」と聞かれた。当然のように「うん。そうだよ」である。

シチューを作ろうとしてシチューを作って3ページまできた当企画。カレーを作ろうとしてカレーができようとしている。
できました
できました

しゃばしゃばカレーは好きですか

あれ? 写真が小さいですね。

余裕だと思っていたカレー作り、なんとここへ来て思った以上の「しゃばしゃば問題」に襲われてしまった。
ご飯の下にも透けて見えるカレー
ご飯の下にも透けて見えるカレー
テクスチャが軽すぎてご飯の網の目をくぐってサラサラ流れ出てしまっている。カレーとしては決定的にとろみが足りない。うーん。

実はばしゃばしゃ問題を解消すべく、ジャガイモを煮崩してとろみをつけようとしたのだが、それでも足りなかった。
とろみ皆無
とろみ皆無
ただ、味はすごく美味しい。カツオの出汁が効いているので、いわゆるそば屋カレーの味。

家族も「カレーだ、カレーだ」といって食べていました(ただし小さい子どもです)。

スープカレーってつまりこういうことじゃないのとも思ったのですが、こだわりのある方に怒られるだろうか。
この状態、我が家の2日目のカレーと同じだ
この状態、我が家の2日目のカレーと同じだ

寄せ鍋つゆでシチューもいけるか

味が濃くなってしまったり、しゃばしゃばしてシチュー(やカレー)とはちょっと違ったりはしたものの、見た目としては問題なくシチュー的なものができた。

これ、もしかしてつゆというよりも具の力なんじゃないか。

玉ねぎ、にんじん、じゃがいも、肉。この組み合わせこそが汁を洋風シチューたる原因だとしたら……。
というわけで「寄せ鍋つゆ」でシチューを作ります
というわけで「寄せ鍋つゆ」でシチューを作ります
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当然、和の要素しかない寄せ鍋つゆ

「国産丸大豆醤油を使い、鰹と昆布、鶏がらの合わせだしを加えて仕上げました。素材の旨さが引き立つコツのあるよせ鍋つゆです。」

パッケージにはこうある。洋風の鍋を見すぎたせいで逆にこんなにストレートに和風でいいのかとすら感じてしまう、堂々とした鍋っぷりあふれる鍋つゆだ。

寄せ鍋つゆの和風パワーは玉ねぎ、にんじん、じゃがいも、ブロッコリー、肉の最強シチューチームに打ち勝つことはできるのか。
透き通った出汁にシチューの具を投入
透き通った出汁にシチューの具を投入
カボチャで鍋っぽさを大胆にマイナスする作戦
カボチャで鍋っぽさを大胆にマイナスする作戦
鰹だしと醤油のふんわりした匂い。ああ、日本だ。ここは日本だ。

カボチャを使うなど、鍋に対してはかなり不利な状況を作った。しかしこれならどんな具が攻め入ろうが出来上がるものは和風の寄せ鍋だろう。確信でふるえる。
あ、スープ
あ、スープ

スープができた

油断して盛り皿が白かったのがいけなかったのか。できあがったのはスープだった。いや、それは見た目の話だ。味。そうだ、大事なのは味である。

……。

うん。スープだいね。
せめてご飯はライスじゃなくて“ご飯”にしたが、やっぱり汁ではなくスープだ
せめてご飯はライスじゃなくて“ご飯”にしたが、やっぱり汁ではなくスープだ

つまり具なのか

味は確かに醤油だし、鰹だしなのだ。でも、食べている場所がどこかといえばあまりにも和食の店ではない。ここは洋食屋さんだ。
コーンを足してご飯を入れたらおじやではなくリゾットに(米から作ったわけじゃないけど)
コーンを足してご飯を入れたらおじやではなくリゾットに(米から作ったわけじゃないけど)
結局は具の力だったということか。

鍋を鍋たらしめるのは白菜や春菊であり、シチュー(やカレーやスープ)をシチューたらしめるのは玉ねぎでありにんじんでありジャガイモであると。こういうことだろうか。

いやしかし、玉ねぎ、にんじん、じゃがいもを使って作る肉じゃがというザ、和食もある。

そもそも、和風とは、洋風とは何なのか。

鍋とは、シチューとは何なのか。

私という人間はどうしてこの世に存在するのか。

ハッ! 視点が宇宙へ旅立ってしまった。
先ほどの残りのチーズ鍋でおじやにしたら、やはりリゾットにしか思えなかったが、冷めたら遠くでお雑煮の餅のような味がし、輪をかけて何がなんだか分からなくなった
先ほどの残りのチーズ鍋でおじやにしたら、やはりリゾットにしか思えなかったが、冷めたら遠くでお雑煮の餅のような味がし、輪をかけて何がなんだか分からなくなった

鍋ごと出せば「鍋料理」

気持ちが宇宙に放り出されたままで終わるのは気持ちが悪いので、今更だが鍋の定義を今一度確認して落ち着いてから終わりたい。鍋とは、

「食材を食器に移さず、鍋に入れた状態で食卓に供される日本の料理。」(Wikipedia)

「鍋を食卓に出し、材料を煮ながら食べる料理。鍋物。」(大辞泉)

だそうだ。

対してシチューはこちら。

「野菜や肉、魚介類を出汁やソースで煮込んだ煮込み料理」(Wikipedia)

「肉とジャガイモ・ニンジン・タマネギなどの野菜をとろ火で煮込んだ西洋料理。 」(大辞泉)

つまり、シチューでもなんでも鍋ごと食卓に出せばばそれは「鍋」なのだ。分かっていたことではあるが、気持ちの緊張がほどけて体はガクンと膝をつくポーズになった。

今回作ったものも、鍋ごと出せば「鍋料理」だし、銘々皿に盛れば、シチューになる。

いや、それはあくまで定義の話で気持ちの上ではですね! ごちゃごちゃ言いたくなったところで、思い出した話がある。以下、まとめに続きます。

まとめ ~鍋つゆ便利です~

高校のころ、友人がひとり暮らしを始めた。冬になって「鍋をやろう」とタラと野菜を買って集まったものの、鍋の作り方がわからない。誰も料理ができないだめな女子会だったのだ。

カンで調理したら みそ汁ができた。ぐつぐつと煮える鍋でみんなでみそ汁をつついた。

鍋の定義からいうと、あのとき私が食べたみそ汁も間違いなく「鍋」だったわけだ。

けれど、もしタイムマシンで鍋つゆを送ってあげられたらきっと彼女たちは大喜びするだろう。和風の鍋つゆよりも洋風の鍋つゆの方が、正直 余計喜ぶと思う。

洋風鍋つゆ、シチューやスープも作れるけど、鍋でできたら確かにいいわ。鍋つゆ、便利でいいと思います。もうごちゃごちゃいいません!
カレー鍋には餃子も合うそうだ。んもー!
カレー鍋には餃子も合うそうだ。んもー!
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