スーパーで売っている野菜と豚バラ肉の違うところは、前者は生きていて後者は死んでいるということだろう。そう、たいていの野菜は台所で火にかける直前でもなお生きている。そんな生命力あふれる野菜たちの中で、ひときわ弱弱しく生きているものがある。モヤシだ。 暗い場所で発芽させられ、ありもしない光を求めてヒョロヒョロと背を伸ばす。やっと世界を見渡せる身の丈になった刹那、小さな袋にぎゅうぎゅう詰めになって出荷されるのだ。おお、ずいぶんと不憫じゃないか、モヤシ。 かつてモヤシっ子と呼ばれていた自分の境遇に照らし合わせて彼らに異常な愛情を感じたぼくは、スーパーで売っているモヤシを光のもとで元気な青青としたモヤシ、いや、モヤ氏に育てたいと考えた。
(櫻田 智也)
モヤシを買いにいく
鑑賞用でも野菜でも、植物を育てる際には種を買う場合と苗を購入する場合とがある。スーパーのモヤシは苗だろう。
子葉がついたままの豆モヤシが売っていた。これを育ててみるのも面白そうではあるが、
モヤシといってどこでも目にするのが、豆もヒゲも取り除かれた緑豆モヤシだ。こちらのほうが豆モヤシよりもうんと弱弱しくて、つい優しくしてあげたい気持ちになる。 豆モヤシは自分でなんとかやっていけるかもしれないが、この緑豆モヤシには俺がついていてあげなくちゃダメだ。そんな自分勝手な男の理論をもちだし、こいつを育ててみることに決定した。
それっぽくしたい
さて、買ってきたモヤシをどうやって育てようか。いくらなんでも植木鉢の土にぶっさして育たないことくらいはわかる。だが、仮にも植物栽培となれば、なんらかの培地に植えこんで見た目の体裁というものを整えたいではないか。 そこでおじさん考えたよ。寒天に植えたらいいんじゃないかと。
水を寒天で固めてやり、そこにモヤシを植えこんで育てるのだ。これは名案ではなかろうか。
祖母の家からもらってきたサントリーウィスキーのおまけ(たぶん)のコップが実にいい。
これはアメフトのデザイン。文字が書かれているところまで注げば、シングル・ダブルの量になるのだ(たぶん)。
お気に入りのコップを使ったモヤシ栽培。おしゃれなインテリア登場のYO・KA・N。
ほどよく固まった寒天水。さあモヤシを植えるぞと思ったのだが、
買ってきた緑豆モヤシは、ヒゲ根が取り除かれている。それをそのまま植えて寒天から水を吸うことができるのか。なんだか不安になってきた。 だったらむしろ、切り花みたいにしたほうがよく水を吸って育つのではないか?
切り花の水の吸いをよくする方法として、茎を水の中に入れた状態で切る「水切り」というやりかたがある。モヤシに応用してみよう。
試行錯誤
身体を半分に切られ、ぷかーんと浮かんだモヤシたち。野菜の持つ生命力をだいぶ失いかけている気もするが、とにかくこれで植えこむ準備はできた。 できた。のだが、
栄養とかは必要ないのか?
そう、培地がただ水を固めたもので大丈夫なのか。なにしろモヤシは白くて黄色い。光合成をおこなうための葉緑体が未発達なのだ。仮に豆モヤシであれば、あの豆の部分に蓄えられた養分を頼りにできるだろうが、こいつらは豆も取り除かれている。 ただの水ではなく、なんらかの養分を含ませたほうがよいのではないだろうか。 そう考えたぼくは、水だけを固めた寒天のほかに、少量の砂糖をとかした寒天もつくることにした。 光合成で植物がつくりだすのは酸素と糖類である。決しておかしなアイディアではないはずだ。
おっ、なにやら可愛らしい。とりあえず5本ずつモヤシを植えてみた。ランナーのコップの寒天が砂糖の入っているほうだ。これを光にあてて育ててやり、なまっちろいモヤシを立派なモヤ氏(憶えてた)にしてやるのだ。
モヤシ元気化計画、発動!
モヤシを寒天に植えたのは夜だった。その翌朝、ぼくはさっそく彼らに太陽の光にあててやろうとキッチンのコップに駆け寄った。